TESOL@ペンシルベニア大学

University of Pennsylvania 教育学大学院へのフルブライト奨学金留学

アメリカで日本語チャット(第16回)フットドクターとは

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予防接種以外で初めてアメリカの病院に行った。足の親指の爪の周囲がなぜか化膿したためだ。

日本でも滅多に病院など行かないのに、ましてやアメリカの病院、怖い。うまく説明できる気がしない。膿って英語で何て言うのだろう。そもそも何科にかかればいいのだろう。

大学の指定する医療保険にかかる費用は年間3000ドルを超える。フルブライトが全額支払ってくれるので感謝しつつ、大学の付属病院で無料で診察を受けてきた。「膿」は pus というらしい。使わないと覚えない。もう覚えた。

その体験をもとに、今週の日本語チャットはアメリカの病院の専門科について話をした。

 

まず、付属病院にオンラインで予約を取るのだが、何科なのか。化膿しているから皮膚科だろうと当たりをつけ、先学期に覚えたての単語である dermatology(皮膚科)を探すものの見当たらない。仕方がないのでプライマリケアに予約を取った。

部屋に通されると、なぜだか身長体重に血圧まで測定され、正しい場所に来たのか不安を覚える。「健康診断に来たのではないのですけど、、」と恐る恐る尋ねると、全員とりあえず計測することになっているらしい。

そして医師の診察。日本人が滅多に来ないとのことで、やたら日本のことを尋ねられる。雑談しながらカジュアルに私の足を見るなり爆笑する医師。

"This is bad!!!!!"

だそうだ。

笑い事ではないはずなのに、つられて笑ってしまう。そんなに酷いかと内心怯えていると、医師はさらに爆笑しながらナースを呼び、写真を撮ろうとウキウキ。嬉しそうに2枚撮られた。1枚は両足、もう1枚はアップで患部。

何がそんなに酷いのかと尋ねると、どうやら化膿のことではなく、10代の頃からの付き合いの外反母趾を爆笑しているようだ。bunionというらしい。そして医師は続ける。

"You have two problems and you need to see a foot doctor!"

FOOT DOCTOR????

フットドクターて。足科?アシカですか?皮膚科じゃなくて?

 

その足で(←文字通り)日本語チャットへ赴き、フットドクターって何!?とアメリカ人に尋ねると、何をそんなに驚いているのやら、という顔で彼は言った。

「足の病気や怪我をしたら行くところだよ」

いや、それはそうでしょうけれど。じゃあ、手の怪我をしたらハンドドクターに行くの?

「そうだよ」

それぞれのパーツで行き先が決まるってこと?

「耳、鼻、のどのお医者さんもいるよ」

それは日本でも一緒だ。なるほど。じゃあ、足を骨折したらフットドクターに行くの?整形外科はいつ行くの?今回、私は爪と皮膚だったから皮膚科だと思ったのだけど、じゃあ皮膚科はどんな時に行くところなの?

「皮膚科は、ニキビとか蕁麻疹とかが出たら行くところだよ」

フットドクターって、もっときちんとした呼び名はないの?皮膚科のdermatologyみたいなかっこいいやつ。

「podiatristだよ。podはもともとギリシャ語で足を意味するんだよ」

 

チャット参加者の中国人学生に、中国にもフットドクターはいるのかと尋ねると、聞いたことがないとのこと。専門科の分類は、日本も中国もほぼ同じだそうだ。

 

確かに日本でも、手の指を骨折すると手の専門医にかかると聞くし、調べると、足の外科専門医もいるようだ。でも皮膚科ではなく足科というのがどうにも納得できない。これは私が日本の norm をアメリカに持ち込んでしまっているからだろう。

 

第二言語習得の際、母語の知識が第二言語に与える影響(またはその逆も)を crosslinguistic transfer と呼ぶ。以前は negative transfer やL1 interference と呼んでいたようだが、その呼び名は最初から母語が否定的影響を与えるということを想定しており、現実には肯定的影響もあることと、transfer は双方向であることから、この呼び名を最近は改め、crosslinguistic transfer と呼ぶことが多いと先日の大学院の授業で学んだ。

今回の私の驚きとカルチャーショックに似た感覚は、言うなれば crosscultural negative transfer なのかもしれない。言語教育者として、さらに言語学習者として、diversity とか inclusiveness とか generosity とかを尊重し重視し、自分の中にきちんと根付いているつもりでいたが、とんでもない思い上がりだった。フットドクターでこんなにも動揺するなんて。私の頭の中には固定観念が厳然とあり、それから逸脱するものに過剰反応を示したのである。

 

ちなみにフットドクターの予約は2週間後になってしまった。それまで抗生物質を飲み、「足をお湯に浸してね!」と言われた。お湯…?

アメリカに来て半年、ヒールを一切はかずスニーカー生活で健康になったと思っていたが、浴槽のない生活も半年。まさかここで、足をお湯に浸せと言われるとは思わなかった。お風呂は健康の元。寮の独房のようなシャワー室は不健康の元。せめて足湯で健康な足を取り戻したい。

 

 

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瞑想、行ってみたら意外と良かった

アメリカでは瞑想が流行している。メディテーションとか、マインドフルネスとか、ヨガとか、大学のいたるところにポスターがある。スティーブジョブズ氏が取り入れていたことは有名で、日本でも瞑想はビジネスマンを中心に流行しているようであるが、能力向上目的だけではなく、個人が自分の健康や精神の豊かさといったものに目を向けるようになったこと、もっと言えば社会の成熟の現れの一つなのかなあ、とも思う。

 

www.inc.com

主催の怪しげなところには行きたくないので、大学の保健センター主催のものに行ってみた。大学院センターで行われ、今日で2度目の参加である。

Campus Health at the University of Pennsylvania

 

座禅ならば伊豆のお寺でしたことがある。夏の修善寺だった。木の葉の擦れる音しか聞こえず、しばらくすると大きな何かに包まれる感覚があり、大げさに言うと宇宙の構成素である自分を認識できた気がした(気のせい)。終了後数時間は晴れやかな気分になり、なぜか妙に、徳を積むような行為がしたくなった。

 

メディテーションもそんな感じかと思って行ってみたが、メディテーションはむしろ正しい呼吸法と、自分の肉体と精神をきちんと結びつけるトレーニングだった。

1時間のメディテーションのセッションはこんな流れだ。

 

・授業後に大慌てで会場に着くと、ゆるやかな音楽と和やかなインストラクターが笑顔で迎えてくれる。

・階段を駆け上って来たのが場違いに思えるほど、みんなゆったり。

・椅子が数脚、座布団やクッションも適当に置いてある。好きな席を選ぶ。

・常連さんと思しき学生は靴を脱ぎ、足を組んで座布団に座り、手は智慧の印。

・インストラクターはゆったりした口調で、手も足も自分の好きなようにしたら良いですよ、と優しく言ってくれる。

・40分ほど、インストラクターのゆったりささやきを聞きながら瞑想。

・ささやきの内容は、主に呼吸法、手を使ったセルフケア、雑念の解放の指示。

・「深く息を吸いましょう、吐きましょう」

・「肉体とマインドがつながることを意識しましょう」

・「忙しいですね?解放しましょう、Let it go....」

・「両手を擦り合わせて温めましょう、両手を目にあてましょう、あなたはたくさんのモノを見ています、休ませましょう」

・「片方の手を胸に、もう片方をお腹に当てましょう、鼓動を感じましょう、心臓も腸もあなたの肉体につながっていることを感じましょう」

・「呼吸を意識しましょう、身体に触れましょう、そして笑顔をつくりましょう」

などなど。

 

不思議なことに、最初の20分間は、雑念が怒涛のように押し寄せてきて全く集中できないのだが、後半20分間は集中というか、ものすごく自然に自分の身体と対話することができる。前回もそうだった。

最初は、「あぁ、プレゼンやっと終わったよ、今日はビールだな、それよりおなかすいたな、お昼何食べよう、日本語チャット行く前にグループミーティングの課題に取り掛かっておこう、こないだの課題は難しかったな、来週ペーパー何本締切だ?それにしてもインストラクターの声は本当に癒しだな」などグルグル考えているのだが、インストラクターの指示通りに深く息を吸い、吐き、両手で自分の身体に触れ、温め、「自分」に集中しているうちに、不思議とグルグルが消え、素直に自分自身と対話している感覚になる。

自分の身体と対話しているのか、心なのか、脳なのか、ちょっとうまく説明できないのだが、普段バラバラになっている自分のパーツが一つに収束していくような感じだ。時間に追われ、日替わりで降り注ぐ課題をやっつけ、マルチタスクでキリキリしているところに、核というか芯のようなものを身体の中にズドンと設置してもらったような感覚だった。

時間にコントロールされている生活から、自分が時間をコントロールし、自分の生活の管理権限を取り戻したような気分だ。

素人なのでその効果は長続きはしないが、毎日上手に生活に組み込んでいけば、確実にストレス削減になりそうだ。

 

 

diamond.jp

ビジネスマンだけではなく、学校でも導入例があるようだ。一人でやると眠ってしまいそうだが、インストラクターがいると効果が期待できそうだ。

なんだか怪しいステマのようになってしまった。

 

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グループワークの乗り切り方

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大学の図書館の開館と同時にグループワークのミーティングに行ってきた。いつもながら、時間通りに到着するのは私だけだ。写真は今日のミーティング場所。ここでスカイプもできる。

今学期の授業はやけにグループワークが多い。授業内のグループワークではなく、課題そのものがグループワークであるため、毎週集まってディスカッションをしたり、ペーパーをまとめたり、プレゼンテーションの準備をしたりしなければならない。

グループワークは楽しいが疲れる

グループワークの良い点は、理解を深め、他の理論や事象や経験と結びつけて考え、課された論文や課題の内容以上のものを得られることだろう。しかもそれは長期記憶と結びつき、本当に自分のものになる。

反対に難しい点は、一人でやるよりも何倍も時間がかかることと、複数の人とスケジュールを合わせようとすると締切よりかなり早くこなしておかなければならないということだ。

例えば、木曜日の「第二言語習得」の授業で課された論文のプレゼンテーションとディスカッションリーディング(プレゼン後、テーマを発展させてクラス全体でディスカッションをする際のトピック設定と実際の運営)を3人グループで行うとしよう。すると、プレゼン当日より1週間前の木曜日の教授のオフィスアワーの間にアポイントメントを取っておき、教授と打ち合わせをする。そのためには遅くとも前日の水曜日にはグループミーティングをしておかなければならない。そのためにはさらにそれより前に論文を読み終え、ディスカッショントピックの叩き台を作っておかなければならない。つまり、プレゼン当日の前の週は、通常の週の分と翌週の分で2倍のリーディングをこなさなければならないということだ。

本来の週のリーディングは適当に…というわけにもいかない。毎週リーディングリスポンス(課題のペーパーを踏まえて発展的なリスポンスを書く。他の論文や理論や経験も織り混ぜる)が課されているからだ。しかも、木曜の授業だが火曜までにリスポンスをオンライン掲示板にアップロードし、水曜までに他のクラスメイトにコメントを付けなければならない。そして木曜当日の授業ではさらなる発展的な話し合いが行われる。

つまり、通常の週のルーチン課題と、翌週のプレゼンテーションのための別の論文の深い読み込みが全く同じ時期に重なってしまうのである。

また、火曜の「第二言語の評価法」の授業でも毎週グループ課題がある。例えばスピーキングの評価法についての論文を数本読み、その上で複数のサンプル音声を複数の評価の枠組みで評価する。5人グループで集まり、それぞれの評価を比較し、評価方法を分析評価してグループ全体として一つのペーパーにまとめ、月曜日までに提出する。ということはグループミーティングは土日になってしまう。5人の予定を合わせるのも大変だし、火曜に発表になる課題を終えるのに数日かかるため水曜や木曜にグループミーティングは不可能だ。

そんなわけで今学期は週末から火曜までが勝負で、土日こそ勉強とグループミーティング。メリハリなく1週間ずっとダラダラ勉強している感じで悲しい。

グループワークは楽しいのだが、仲良し同士でグループを組むわけではなくランダムに割り振られるので、初めましてどうぞよろしくの人とも毎週うまくやっていかなければならない。

火曜日のもう一つの授業「コンテクストの中の文化とコミュニケーション」という授業でも3人グループで英語の授業を行う。外部で普通に授業を行うため、グループメンバーの大学院生同士の問題だけではなく、生徒に対し教える責任もある。最終課題はムービーを作ったりワークショップデザインをしたりするのだが、グループプロジェクトとして行ってもよいし、個人プロジェクトにしてもよい。グループでやる方が良いものができるとわかってはいるが、私は一人の方が気楽だし、最終試験の頃にグループで日程や内容をすり合わせる苦労を想像するとちょっと無理なので、私は個人プロジェクトにするつもりだ。しかし前回の授業でクラスメイトに「一緒にやろう!」と声をかけられた。お互いのやりたいテーマを知っているわけでもないのに一緒にやろうと声をかけてくる人(しかも名前を知っている程度の仲)とはうまくやれる気がしないので断ったが、異なるバックグラウンドを持つ人と一緒にグループワークを行うのは結構大変だ。

 

グループワークを乗り切る2か条

あくまで個人的な見解だが、さまざまな国籍、文化背景、事情、性格の人たちとグループワークをする際に心がけるべき2つのことがあると思う。

寛容さというかあきらめというか図太さ

時間について

私の属するグループでは、時間通りに集合場所に到着するのはいつも私一人だ。最初はイラッとしていたが、他人の行動は変えられない。イラつくだけ損だ。今日も1時間しかグループスタディールーム(上の写真)を予約できなかったのに20分遅れて来るメンバーがいた。前回も、別のメンバーが20分遅れてきたあげくにパワーポイントのファイルの入ったメモリを自宅に置き忘れて取りに戻った。

文句を言っても状況は変わらないし、人間なので寝坊や忘れ物は誰しもあること。したがって重要な点は、その「無駄になった空白の時間」をどう使うかだ。

私はいつも、みんなが遅れて来ることを想定し、その隙間時間のうちにできることをやってしまう。上記のリーディングリスポンスへのコメント書きや、翌週の論文のダウンロードなど、いずれにせよやらなければならない細かなことはいくらでもある。グループワークで人が集まらなくてイライラするのは、自分の時間が無駄にされていると感じるからなのと、限られた時間を有効に使えないからだ。それならば、一人でできることや、いるメンバーだけでもできることを考え、建設的に時間を使えばいい。

というか、そう考えないと、あまりにも遅刻率が高すぎてやってられない。これはお国柄なのか、それとも学生さんだからなのか?

内容について

グループ内に一人は必ずいる、論文を読んでこない人。または、理解が十分でない人。これもあきらめが肝心だ。論文を読んでこなくても死ぬわけではないので読み込んでこない人もいる。体調が良くなかったのかもしれない。さまざまな事情があるだろう。読んでこなかった事実は変えられないし、「次からは読んできてくださいね」なんて小学校じゃあるまいし、とにかくこの切羽詰まった状況をどう打開するかだ。

遅れてくる人を待っている間に概要をレクチャーした時もあったし、みんなで共通認識を持っているかどうかをミーティング冒頭に確認し合ったこともある。人に説明することで自分の理解も深まるし、グループ全体で議論のベースを構築できる。むしろ読んでこない人がいることを逆手にとり、グループにとってプラスになることをやっていくしかない。成績はグループで一律につけられるのだから。

 

公平に課題を分配すること

1つ目の「寛容さ、あきらめ、図太さ」は心構えというか物の考え方だが、2つ目は実際のグループワークの運営の仕方だ。公平さ、これに尽きると思う。

3人グループのプレゼンテーションは、論文を3つの部分(これまでに判明している理論、実験手順、結果の解釈)に分け、それぞれ担当を設定している。プレゼン時間も公平に分配した。これはすべての話し合いが終了した後に担当箇所を決めた。そうしないと他人事になってしまい、エンゲージメントに差が出るからだ。

5人グループで毎週行っている評価法のグループ課題は、グループミーテイング時にGoogle Doc. でファイルを作成し共有し、話し合いながら5人で同時にファイルに書き込んでいく。話し合った内容をお互いにその場で補完しながら課題を作り上げる。すべて終了した後に、その課題を4つの部分に分け、4人に分配する。つまり5人全員の考えと話し合いの結果が少しずつ1人ずつに分配されるということだ。4人は各自自宅でその話し合いメモを文章化し、まとめた上で再度 Google Doc. にアップロードし共有する。締切時間を設定し、4人全員の文章が出揃ったところで残りの1人がフォーマットや体裁を整えて教授に提出する。これを毎週順番に役割を交代しながらやっている。

これは非常にうまくいっており、私以外の4人は全員2年生で知らない人ばかりなのだが、ルールが明確なことと公平な分配から、不満は全くない。ただ一つあるとしたら、あまりのマシンガントークに私が口を挟む余地があまりなく、彼らにとって私がお荷物で、私の貢献度が低いと思われているかもしれない。そこで私は、とにかく早く自分の担当箇所を終わらせて誰よりも早くアップロードすることと、論文をきちんと読み込んで5人の議論内容に理論的裏付けをするコメントをするように心がけている。

細かなことだが、ルールを明確にすることは複数人で1つのことをする際には本当に重要だと思う。担当者名、担当箇所、締切時間、行数や語数制限(課題全体で何枚以内、と制限されているため)など、面倒でもどこかファイルの余白に全員が共有で見られるようにしておくことで不要なトラブルは避けられる。

 

さて、明日はグループプレゼンテーションとディスカッションの運営がある。本来ならば先週の木曜日のはずだったのだが雪嵐で休講になったため、今週にずれ込んだ。プレゼンを行うこちらも聞く方のクラスメイトも、内容を忘れかけているのではないかと心配だ。しかも内容は「第2言語の、第1言語に及ぼす時間概念の構築への影響」ということで、認知言語学や心理学、脳科学と関連する実験論文。簡単に言えば、外国語を学ぶことでもたらされる思考パターンの変化だ。面白いが難しい。うまくいくといいな。

 

 

 

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